信仰心とは人間の本能である説を提唱してみた
宗教と言うともしかしたら怪しいイメージを持たれる方もいるかもしれません。
しかし古今東西に宗教は存在します。
なぜだろうと私なりに考え続けた結果一つの仮説に到達したのです。
『信仰心とは人間の本能なのではないか?』
⬆抽象的
神
人間
動物
⬇具体的
という構造上に人間を規定すると、人間は動物に比べて理性を手に入れたわけです。
私はこの『理性』が本能としての信仰心の源なのではないかと思うのです。
動物にも、もしかしたら信仰心や敬虔な心があるかもしれない。
彼らは自然と一体です。
もしかしたら我々より神に近いかもしれない。
しかし彼らの思考を解析出来ない以上、彼らが我々より神に近い証明が出来ないのです。
言語がない点で我々より神に近いと言えばそれまでかもしれません。
話はそれましたが、一度信仰心を人間にのみ許された特権だとします。
するとキリスト教からアフリカの未開地まで信仰はあるのです。
思えばこの世の森羅万象を神秘と科学の二項対立とすると、我々は科学で説明出来ないものを畏れ、神性なるものとしたのかもしれません。
神秘
⬇人類の進歩
科学
人類の進歩とは常に神秘から科学への歩みのように思えます。
科学が神秘の領域を征服していくイメージです。
科学がいくら発展しても解析されない領域、人間の心理と神性。
まだまだ人類は進歩の余地があるのかもしれません。
科学の進歩とは神秘の領域を征服していくと共に、人類が神に近づくための手段でもある。
そう考えると面白いですね。