ネットの誹謗中傷に思うところ~人類は古代ギリシャから進歩していない件~
ネットの誹謗中傷について昨今論議が進んでいますね。
私なんかはビジュアル系時代に散々ぼろくそに叩かれたので表に出る以上はしょうがないのかなと思ってしまいます。
なぜなら衣食住などの実業以外で収入を得ようとしているからです。
人をぼろくそに言うのは匿名だからというのもあり、そのアカウントに責任がないからです。
私は自分のYouTubeのアカウントを使って他のYouTuberさんの悪口を言ったりしません。
〇古代ギリシャの話
・誰が一番偉いのか
ここでトリビアを披露したいと思います。
古代ローマの時代に剣闘士が戦うコロシアムがありました。
イベントの主催者
闘技者
観客
さて、誰が一番偉いでしょうか?
哲学的には正解は観客です。
なぜなら観客は哲学をしているからです。
イベントの主催者は興行による金儲けのため、剣闘士は生き残りと富と名声のために戦います。
観客はただ議論したり評論したりと哲学をしているので、哲学のものさしでは観客が一番崇高なのです。
この理論でいくとYouTube運営やYouTuberよりも視聴者の方が崇高ということになりますね。
だからと言って「消えろ」というのは言い過ぎですけどね。
・人類は進歩したのか
さて、古代ギリシャ・ローマにおいて偉大な哲学者の系譜から様々な宗教学・科学技術・金融経済学など、人類の学問は飛躍的に進歩し続けています。
私がIT企業に新卒で入社したときに上司から言われたことがあります。
「君は古代ギリシャのことを勉強していたんだね。人間が古代ギリシャから進歩しているなら古代ギリシャのことを学ぶ必要はないはず。なぜ古代ギリシャのことを勉強するのか?それは人間が古代ギリシャから進歩していないからだと思うよ」
私は目からうろこが落ちたようでした。
そう言われてみたらキリストが生まれてから何千年経つのに人の世には煩悩が満ち満ちており、他人が妬ましかったり自分の今の生活に不満を持っていたりします。
これを言うと怒る人もいるかもしれませんが、キリストやブッダの教えが万能ならもっと世の中はよくなっているはずです。
しかし世の中は常に混迷しています。
つまりキリストやブッダの教えも結局概念に過ぎず、自分の人生は自分で切り開くしかないのです。
〇ネットの功罪
インターネットは玉石混合とも言われます。
よい情報が共有しやすくなった分、掃きだめのような人々の悪意も見えてしまいます。
表に出ている人がなんとなく気に入らない。
ストレス解消になんとなく思ったことを言う。
こういう負の面もネットの一部分でもありますね。
次の世代に良い世の中を提供するためには「人間ってギリシャ時代から進歩してないよね~」で終わらせるのではなく、高いリテラシーを持った人々が多数を占めるような世の中にしていかなければなりません。
例えば下衆な週刊誌を買わない、芸能人の不倫は民事なんだから勝手にやって、など。
人を誹謗中傷したら訴えられるという恐怖心よりも小学校の時習った
『人のいい所を探しましょう』
というみんなと仲良くする原点に返るのが重要なのではないかと思う今日この頃です。